20150623

特殊相対性理論の単純トリック

特殊相対性理論の単純トリック


系によらず光速度一定で物理世界を記述するアインシュタインの提唱を生かし、
力学と電磁現象を素直に接続させ、ニュートンを復活させます。

ローレンツ変換は、数学として正しい。
GPSは、有効利用されている。 

いままでの光速にまつわる空間と時間に関する実験も正しいものとする。
 (ただし、光速を超える現象があるらしい量子力学は別腹とさせて頂きます。)


マイケルソン&モーリーの実験を再解釈することにより、
量子力学の姿を狭間見る座標空間の提案です。

まずは、特殊相対性理論が机上の空論であったことを
明らかにしていきましょう。



 カエルとアヒルが50メートル競争をします。
 「よーい、ドン。」

 カエルとアヒルは同時にスタートし、同時にゴールしました。

図1 カエルとアヒル













平均速度はカエルとアヒルのどちらが速いでしょう?

 カエルは最短距離を真っ直ぐ走り、
 アヒルは斜行したようです。 

もちろん、アヒルの方が長い距離を同じ時間で走ったのですから、
アヒルの方が平均速度は速い。


 【図1 カエルとアヒル】を、列車に搭載された光時計内を進んだ光子と見做してください。

START地点を、列車床高さ。
GOAL地点を、列車天井高さ。

カエルは、停まっている列車内の光子。
アヒルは、線路に対して動いている列車内の光子。 

カエルの走る速度が光速ですから、
アヒルの走る速度は光速を超えてしまいます。

アインシュタインが提唱した、光速は系によらず、
同じ長さで光子軌跡として描かれるべきだに違反しています。


アインシュタインの提唱に従い、光速はいかなる系のものも同じ速度で記述すべきです。
カエルとアヒルを同じ速度として描けなかった、図1は欠陥品です。

欠陥理由はデカルト座標と呼ばれる xy平面に光子軌跡を描いたからです。
電磁現象は電子回路でおなじみの複素平面、ガウス平面に直接記述すべきものだったのです。

航空機の2点間最短コースは、メルカトル図法に描くべきではなく、
正距方位図法や、地球儀に直接描けば、正しく記述できるようなもんです。






ところが、アインシュタインの典型的解説本レベルでは、
中学生にもわかる特殊相対性理論
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/katsu-san/audio/relativity.htm

アインシュタインの話とされるものを信じ込んで、 観察する側の時間と、
観察される側の時間の流れが異なるという話を展開させます。

前提条件に瑕疵があることを疑っていないのです。



図2 停止車両と動く車両


















線路を見ているヒトがいます。
線路とヒトは地面に対して動いていません。

左の車両は線路に対し停止しています。
右の車両は線路に対し動いています。


アインシュタインの仮説、時間の流れが系によって異なるが、
整合性のある論理と信じられているので、
内部空間と外部空間では時間の流れが違うのが常識。

ですから、アインシュタインの仮説は正しいとしましょう。

しかし、この図2のヒトは停止車両と動く車両を同時に観察しています。

線路上の空間は、図2のヒトにとってどこでも同質の内部空間のはずです。
光子の軌跡である黄色点線だけに注目しましょう。

どちらの黄色点線も同じ観察時間で得たもの。
しかし、光子軌跡距離が違う。


アインシュタインの提唱は、系によらず光子軌跡距離は同じであるはずです。
距離=速度x時間の速度C(光速)は、いじれない。
距離=速度x時間の光子軌跡距離は左(鉛直)と右(斜線)では長さの違いがある。

だから距離=速度x時間の時間をいじろう。

動いている部分空間の時間の流れは違うことにしよう。

しかし、図2のヒトは、同じ観察時間で異なる長さで光子軌跡距離を見ている。


黄色点線を光子ではなく、テントウムシが車両内の鉛直鉄棒を登っているとします。
そうすると、古典力学での見かけの速度になります。

xy平面ではアインシュタインの提唱、
系によらず「光速は同じ軌跡長さで描く」が、できなかっただけです。
見かけの速度なら座標の取り方で、長さは異なって当然です。


図3 線路の3面図



















図2のヒトからの正面と上からと側面からの図です。

水色輪郭の車両イメージは車両側面ですが、図2の白ヒトにとっては正面。
白ヒトの分身、白ヒトと同じ視線方向 z軸正方向を見ている水色ヒト。

上から y軸負方向を見ている白ヒトの代理茶色ヒトにとっての正面が、白ヒトの上からです。
上からなのでレールが2本見えて、枕木も見えています。

白ヒト代理の赤ヒトにとっての正面が、白ヒト側面で、線路に立ってる感じ。
緑色はレールの断面図で、その上が鉄輪。赤枠が車両にとっての正面図。

画面を見ている貴殿は白ヒトと同じ視線方向。


水色ヒトからの見かけ黄色光子軌跡は図2と同じ。
見かけ光子軌跡=√((鉛直光速)^2+(車両速度)^2)

茶色ヒトからの見かけ黄色光子軌跡は点と車両速度。
見かけ光子軌跡=車両速度

赤色ヒトからは、見かけ黄色光子軌跡はどちらも車両床から天井まで。
見かけ光子軌跡=車両高さ



ところで、内部空間と外部空間の区別は科学的になされたのでしょうか。
車両イメージ水色輪郭内を勝手に内部空間と呼称してるだけです。

【図1カエルとアヒル】と、【図2 停止車両と動く車両】を見比べてください。

注目した輪郭を切り取って、お絵描きソフトで平行移動させただけのものを、
内部空間と呼んでいいのでしょうか。

図2の車両輪郭を取り除くと、図1のカエルとアヒルの競争。

逆に、図2全体を巨大宇宙船の内部に敷設された線路だとして
図2の画像枠、額縁が右に等速移動してるのをイメージすると、

巨大宇宙船は、何かに対して動いていることになる。
きっと、巨大宇宙船より大きな空間を貴殿はイメージするでしょう。

イメージした空間を、いきなり無限性の空間にしないで部分空間をイメージ。
巨大宇宙船は、超巨大宇宙船の内部空間だったのです。


なんとなく、入れ子ですよね。


この画面を見ている貴殿の視線方向。
図2と図3に描かれた白ヒトの視線方向も同じ。
図3に描かれた水色ヒトの視線方向も同じ。

なんか、ここでも入れ子の感じ。




立って、大の字のポーズしてから、
ちょっと目を瞑(つぶ)ってください。

白ヒトと同じようなポーズ。


目を瞑って【図1カエルとアヒル】をイメージします。
カエルとアヒルが50メートル走をしている光景をイメージします。
カエルもアヒルも地面の上を走っている。

貴殿も地面の上に立って、その光景を見ているのでしょう。

でも、図1を紙面に描くには、上からの俯瞰が必要です。

アリとテントウムシが樹木を登る競争なら、幽体離脱は必要じゃないんですけど。



いま、パソコンの画面を見ていますよね。
パソコンの画面は平面。

iPhoneも平面。

iPhoneのカメラアイ、高解像の方を貴殿の目としましょう。
液晶画面のない方が、高解像のカメラアイ。
iPhone単眼と、ノーマルなヒト2つ目の違いはありますが。

いや、表と裏にカメラアイのあるiPhoneを魚やフクロウを除いた鳥、シマウマのように進行方向の左右に眼を持った生物に。
でもiPhoneに進行方向ありませんね。

ヒトとかライオンとか鷹とか鷲もかな。
猛獣や猛禽類は進行方向を正面とする眼を持っています。


立って大の字のポーズしてから、もう一度、目を瞑ってください。
自分がiPhoneになったつもりで、液晶画面がない方のカメラアイが見ている方を正面とします。

iPhoneとパソコン平面画面を平行にします。
頭の中のイメージで、パソコン画面が見えてますね。

iPhoneとパソコン平面画面の平行を保ったまま近付ける。

距離間1ミリメートル、くっついちゃってもいいや。
パソコン画面が見えなくなっちゃった。

対象との距離というか、奥行きと視野角がなければ、なにも見えませんよね。


カメラアイはiPhone有限平面の局所部分。
古典力学で使う xy座標面は無限性。

カメラアイをピンホールカメラとして、レンズ口径を点とします。
点は数学的簡易処理で、実際のカメラアイにはレンズ口径という大きさがあります。
レンズ口径は、私がこれから紹介する簡単なところでは捨象できるので、

見るという行為、情報を集めるという行為は、局所で行われるとし、点とします。

宇宙からの情報を集める天文台は、宇宙に比べだたら点。
ハッブル宇宙望遠鏡も点。



点と有限範囲(部分空間)と座標という無限性。

観察者の存在位置を点として扱い、
観察者の注目した輪郭枠内を電磁現象として物理的に扱い、
数学座標の無限性と、実験空間の有限大きさを組み合わよう。

デカルトとガウス。で、ニュートン復活。



電磁現象は有限速度で伝播する。

情報は事象の発生場所から観察者の居場所に伝わる。
発生場所複数地点から集められた情報。
集められた複数情報を脳が処理し、点や線分や輪郭で形イメージを作る。

世界を情報として描き直しましょう。
その先には、きっと量子力学の新しい見方も生じるでしょう。

俺が紹介するのは、その突破口。






目を開いて、平面的な部屋の壁を見る。
アリやテントウムシが壁を這っているというか歩いている。虫とヒトを区別しない。

カメラアイにとっての正面と壁が平行なら、アリやテントウムシの見かけ速度が最大に見える。
そうでない場合は、平行な成分だけが見かけ速度として扱われる。

これは古典力学の習慣で、数学的手続きに過ぎない。
空間内の存在を扱った古典力学では、これで十分だった。

古典力学では、建物設計図で使われる3面図を平行移動した2地点を見かけの速度としてるだけ。

平行移動でできた見かけ速度をガリレオの相対性原理で使ってるだけ。
電磁現象では回転が相対性に関与してくるのを、これからちょっとずつ紹介していきます。






図1では、イメージとしてカエルとアヒルのアイコンを使っていますが、
カエルを緑色の点、アヒルを黄色の点にしてもいい。
点だと内部空間がありません。

逆に、図2の車両水色輪郭内は部分空間ですが、部分空間を無限の広さに拡げてもいい。
無限の広さに拡げたものを基準系だ、慣性系だと言ってるだけ。

点であろうと有限空間であろうと無限性の平面であろうと、区別する必要はない。



しかし不思議なことに、カメラアイでは、点や無限を見ることはない。

点、1つでは明滅の情報が得られるだけ。
無限の広さから情報を得ようとすると、無限の時間が掛かって写真ができあがらない。


見かけの話はどうでもいいんで、アリやテントウムシを光子にしてみましょう。
アリ1匹が1個の光子。

1個の光子が壁を這っています。

カメラアイは壁から離れています。壁を這ってる1個の光子は見えるでしょうか?


古典力学は存在を扱ったから、目で見なくてもいいわけです。
カメラアイに飛び込んで来ない光子を平行移動してるハズと思い込んでよかったわけです。




目を瞑って自分の正面1メートルに壁をイメージします。

壁に点をイメージして、その点を xy平面の原点Oにして、そこから光子を放ちます。
光子に壁を這ってもらいます。

面倒なんで1秒、30万キロメートルを単位長さ1とします。

半径1の単位円円周のどこかが1秒後の光子の位置。


目を瞑ったままカニ歩きしましょ。危ないのでイメージで。
光子の見かけ速度は変わる。目を瞑ってカニ歩きしたヒトにとって変わるだけ。

物理現象はなんも変わっちゃいない。


今度は壁から1単位離れてイメージしましょ。目を開けて。

アリさんやテントウムシさんには、ペンキで塗らした長靴履いてもらって壁を歩いてもらう。
原点Oから壁を歩いてもらう。速度0から光速までの速度で。

壁が見えるのは光を反射するから。

いろいろな方向から光子達、光子群がやって来る。
真正面からは原点Oをからの光しか受光しない感じ。




古典力学はパソコン画面を無限に拡げた平面と、
iPhoneを無限に大きくした平面を、ゼロ距離でズラしただけ。

無限の広さの平面。
xy平面上のすべての点の状態、明滅の違いを存在として扱っていいのは、
数学者と古典物理学者だけ。

数学者はなんの手続きもなしで、超越的に各点の状態を知ることができる。
宣言するだけでいい。

でも、実験物理学者は安易に有限空間から得た情報を無限性座標に描いたらまずいのよ。

ゼータ関数を使って無限を。物性物理学者が数学部品を使うのはかまわんさ。
描写できればいいのだから。

だが、理論物理学者は世界を創造する詐欺師。数学者達とは違う。



それじゃ話を具体的に進めよう。










続きは  まだ作成中 リンク使えない

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以下の駄文には、一部不都合というか、誤りがあります。
特殊相対性理論のトリックがなんであるか、わかってから暇なときにどうぞ。








ここで、『観察』と『観測』を軽く定義しておきましょう。


観測: 時計で時間を測ること。定量的。
観察: 状態の変化に気付くこと。定性的。


例1 体験しながら観測する。

鉄棒に両手でぶら下がった時刻から、
鉄棒から両手が離れた時刻までの持続時間(ベルクソン)を
鉄棒にぶら下がった体験者の腕時計で測る。

鉄棒に電気でも流して、ランニングマシンで握っている間だけ心拍数を測るような装置に腕時計を改造。
腕時計がぶら下がり持続時間、物理的な経過時間を自動的に計測。



例2 観察しながら観測する。という体験

鉄棒に両手でぶら下がった体験者の様子を、何処かから観察する。
ランニングマシンのハンドルを握っている間だけ心拍数を測るような装置付き鉄棒に、
体験者が両手でぶら下がった瞬間から青色ランプを点灯させる。
体験者の両手共、鉄棒から離れた瞬間から5秒間赤色ランプを点灯。

青色ランプと赤色ランプが点灯していない時間は、緑色ランプが鉄棒を照らす。

3色ランプ付き鉄棒装置と体験者は、線路上を動く列車内存在とする。
列車は速度0で停止している場合もあれば、速度vで線路に対して動いている場合もある。

観察者は、鉄棒と体験者が一体となって見える持続時間を
観察者の手に持ったストップウオッチで計測する。

青色ランプの点灯持続時間を観察して計測するでもいい。


列車が速度0で停止している場合、
机上の空論、オッカムの剃刀である抽象化した世界では、

体験者のぶらさがり持続時間と、観察者の青色点灯観察時間は同じである。

(ホントは、これこそ奥行きという電磁現象に特有の、力学の世界になかったトリックなんだけど、
それはゆっくり後で説明するとして、)


アインシュタインの仮説が正しければ、

線路に対して速度vで動いている列車内にいる体験者の腕時計で測った持続時間より、
観察者のストップウオッチで測った青色ランプ点灯観察時間が長くなる。


経過時間という用語と持続時間という用語を、この段階では厳密に区分しない。
なんとなく物理的なのが経過時間。主観的なのが持続時間。

3色ランプ付き鉄棒装置の内蔵コンピューターが計測記録した青色ランプ点灯時間は、
体験者の腕時計が計測した持続時間と同じである。

これは、2人の人物が握手した場合の、それぞれが測った握手持続時間が同じ経過時間である、あたりまえのこと。



例3 観察者である自分も、線路に対して動いている可能性の自己言及。


太陽や惑星、そして星々を毎日、同じ時刻に観察する。
同じ場所で。同じ方向に。

観察対象物である太陽や、個々の惑星。
観察対象物群である星々。

ついつい、観察の厳密性を重視した記録を作成しようと集中すると
観察する側である自分も、線路に対して動きなから観察してる可能性を失念してしまう。

自分が大地に固定されているという幻想。

ブラウン運動のある世界で、瞬間、ある時刻なら、大地に対して自分は動いていない存在と見做すこともできるけど、

観察行為は瞬間じゃできない。対象の状態変化を観察するには、
観察対象のさっきといま、記憶といま見えるイメージとの比較照合を必要とする。

観察とは、時間の掛かる作業だ。

解剖学とか植物の分類学なら、観察対象自体が時間内で状態変化しなくても、
じっくり観察することで、細部の違いを認識して経験を積むとかあるけど、

いまは物理学の話。物理は観察対象の変化、色とか位置とか大きさが時々刻々に状態変化することに注目する。

でも、物理学者も、観察対象の状態変化にだけ注目するという視野狭窄しないで、
時間のある世界で観察行為をするとはどういうことなのか、

自分自身を観察すれば、電磁現象の世界での相対性概念を体験できる。



力学の世界の相対性概念は、『存在』について。
電磁現象の世界の相対性概念は『イメージ』について。

この2つの相対性概念を接続するのが『見かけ』となります。



観察装置を大地に固定。自分は動いていると感じないから、
自分は動いていないと幻想できた天動説の天文学と違って、
微細な物理世界では、観測機器さえ、系に対して固定するのは工学的に不可能。

自分も観察行為をしている間、線路に対して動いている可能性がある。


鉄棒にぶら下がる体験者を博多から東京へ向かう上り新幹線列車内存在とし、
観察している自分は、東京から博多へ向かう下り新幹線列車内存在とする場合を、
特殊相対性理論は検討していない。

線路は動かないもの、不動なものとして座標に描いただけで満足してしまった。
観察者側が線路に対して動きながら、線路上を走っている列車内空間を観察するという入れ子の場合を検討していない。

観察側の自分も、観察機器&観測機器という具体的存在であることを意識すると、
『同時性破綻』や、『双子のパラドックス』が、単純トリックによる誤認であることがわかるようになります。



西洋では一時期、地球中心説で、太陽や惑星や星々を観察する側は、動いていないと思い込んでいました。

コペルニクスは、地球の方が動いていて太陽の方が動いてない太陽中心説。
ちょい、それは言い過ぎでしたが、観察側が動いているを導入。

ガリレオは、俺に相手が動いて見えるなら、相手は俺が同じだけ動いて見えるの相対性原理導入。

ニュートンは、恋に堕ちたのは俺で、相手じゃない。いや、恋に堕ちたのは相手で、俺じゃない。
じゃなくて、両想いの可能性。どちらも恋に堕ちた可能性。万有引力導入。

三体問題については、ちょい保留して、

注目した地球と太陽に、第3者の位置である重心を動かないものとして導入。
注目した地球と月に、第3者の位置である重心を動かないものとして導入。

重心を中心に、注目した対象物達が回転する。グルグルする。


第3者の位置である重心って、上り列車と下り列車に対する線路存在という第3項みたい。

月と地球と太陽って大きさの序列があるけど、。。。

大きさの序列を認識したり、重心を回転の中心にしたり、
線路を不動扱いしてxy平面座標に結合させたのは誰だろう。





力学と電磁現象を接続する際に必要になる相対性概念枠組みを一部、お見せしました。

それじゃ、ここからは具体的、直観的に仕組みを紹介させてもらいます。



まず、内部空間という概念そのものが幻想であることを明らかにします。

内部空間がなければ、系によって異なる時間が流れているというアインシュタインの仮説そのものが消えます。

力学が想定していた空間概念が、電磁現象の相対性概念で記述すると異なるものになるのです。

空間が、1人称・2人称・3人称という認識の仕方で分類されます。
複数形主語による分類もあるようですが、それは量子力学の範疇になるので、
私が紹介するのは単数形主語の簡単なのだけに留めておきます。




自分自身を1つの原子だと思ってください。 この原子にいかなる光子も、光速以上で近づくことも遠ざかることもありません。
言い直してみましょう。 自分自身を地球だと思ってください。 この地球にいかなる星の光も、光速以上で降り注ぐことも、反射し光速以上で旅立つこともできません。



野球のバッター、クリケットの打者になった気分になってください。
投手がボールを手放した瞬間の映像が目に入ってきます。

ボールの存在は、投げ放たれた直後はまだほとんど投手と同じ場所ですが、
ボールの映像情報である投げ出されたボールイメージは、打者の網膜に届いています。

ボールイメージは網膜じゃなく、脳が情報処理したもので、物理的に言えるのは、ボール表面で反射した光子群や、
投手が腕を伸ばしきった姿、実際は、姿はイメージですから、物理的存在である投手存在表面で反射した光子群が、打者の網膜に届いてることです。

ボールは徐々に近付きながら、大きく見える。カメラアイにとって。ヒトの網膜にとって。
ボールが大きくなったのではなく、視野に占めるボールイメージに使われる画素数なり網膜細胞の使用量が増えているからです。

ただし、全画素数に対するボールイメージ使用割合伸び率は最終的に下がっていきます。
ボール存在がカメラレンズにぶつかった段階で、画素使用率100%。使用割合伸び率0%。

厳密には、ボールがカメラレンズに比べて小さければ、画素使用率はぶつかった段階でも100%以下。

ボールイメージ使用割合伸び率は、バネの単振動を座標に記述する際、
等速回転運動する円周上の点を縦軸に射影したものに模して、
バネにぶら下げた錘(おもり)の時々刻々の位置・速度・加速度の加速度を記述するのに近いものがあります。

さらに註記をしておけば、ボールが光子1個で造られていた場合、
網膜や画像素子群は普通、錐体細胞1つや素子1つではないので、
段々大きく見えるとかの比例関係が成立しないトリックもあります。

いや、そもそも1個の光子が観察者にやって来る場合、網膜にぶつかるまで見えないじゃないか。




ここで意識してもらいたいのは、情報は観察者に向かってやって来る。
もちろん、観察者である打者が、ボール存在に向けて走り出してもいい。

西洋の騎士がした馬上槍試合、ジョスト のように。

ジョストの槍を光線銃に持ち替えて思考実験してもいい。

ただし、光線銃は地球から月の鏡に向けて発射すると、拡がって単位面積当たりの打撃力が減るので、
当たり判定は、30万キロメートル以上で拡散して低下した打撃力を上回るとして、
発射段数は1発で、一度発射すると光線銃内蔵時計で1秒間持続する。

この設定は、あまり意味ないかな。



一方、流鏑馬では、矢を放つ方向は、進行方向に直交。
馬に跨って矢を放つものにとって、的(まと)は近付いてくる感じ。自分は動いていない感じ。

矢を放つときは、風の影響とか、慣性の力とか考慮して斜めに放つ。
真横に向かって放つなら、早めに放つ。的(まと)が馬と並ぶ前に。風の影響ない場合。

光子は光源の速度、慣性に影響されないから、的(まと)が真横に見えたとき放てばいいのかな。

でも、光行差ってのがあったね。



ジョストは、ローレンツ変換のローレンツが天動説のような思考をしているのに気付いてもらう為に出した。
線路上を走る台車に載せた光源から台車進行方向に光を放つ。
光速は光源の速度に影響されない。


流鏑馬は、アインシュタインが天動説のような思考をしているのに気付いてもらう為に出した。
アインシュタインだけじゃなく、ローレンツ&モーリーの実験でもあるね。

ここにもたくさんのトリックが隠されているんだけど、一度にわかろうとすると頭がごっちゃになるんで、1つだけ抽出しよう。



浜辺にじっと立っている観察者が帆船の動きを座標に記入しようとする。

帆船の速度は、

「手用測程儀」が用いられていた。これは木片(Log)に結び目のついたロープをつけて船尾から垂らして速力を測定するものである。この結び目をKNOT(ノット、節) といい、

で、測った。


数学者は超越的だから、なぜか帆船の速度を知っている。
浜辺にじっと立っている観察者は、帆船の動きが見えるだけ。

そこで浜辺の観察者は、2本の棒を浜辺に立てる。

2本の棒を浜辺に挿した位置を、2等辺三角形の底辺の両端とし、
残る2等辺三角形の角に観察者が立つ。


2等辺三角形の底辺を両側に延長した直線という無限性を、座標の水平横軸、x軸にする。

浜辺から数十メートル離れたとこの海に突き出た岩礁2つを棒2つに見立ててもいいよ。
帆船は、浜辺から数キロメートル離れたとこを動いているみたい。

帆船は等速直線運動しているとする。
帆船の動きは直線運動だけど、帆船が浜辺の観察者に真っ直ぐ向かって来たら、
観察者にとっての奥行き方向の動きだから、動きが観察されない。

いや、帆船は動いているけど、動いているように見えない。



古典力学の物理学者は、上空から俯瞰して、2等辺三角形の底辺と同じ方向成分を浜辺からの観察者の見かけの速度として扱う。


浜辺の観察者はリアルな実験参加者だが、
上空から俯瞰したかのように帆船と浜辺観察者の配置を知っている誰かは、所在不明。




太陽系のイメージ動画では、上から俯瞰した感じで、太陽の周りを回る、水星や金星、木星や土星の公転軌道描かれる。

ま、実際は、

太陽系は3次元の立体空間ですが、
惑星は太陽の赤道を延長した黄道面という仮想の平面上を、
だいたい公転しています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1268705892
黄道面でだいたい公転してると見做すのはいいのだが、
3次元空間内で、動きの範囲がほとんど2次元面であるということは、いいのだが、

帆船や浜辺の観察者を上から俯瞰している奴の位置が不明なのと同じく、所在不明。



浜辺の観察者は空間内の局所的存在だが、
上から俯瞰してる視線、設計図、3面図を作り出す無数の平行線は射影幾何学。

帆船と浜辺の観察者は、どちらも3次元空間内局所存在なのに対し、
上からの俯瞰は、なんの手続きもせず、数学的超越で帆船と浜辺の観察者を扱っている。

観察実験装置の不在だ。知識だけから作られた、見かけのイメージ。



マイケルソン&モーリーの実験解釈でいきなり、

「地球が等速運動しているように見える系では、・・・」

実際に見たわけでもないのに、座標を平行移動すれば、系の違う電磁現象を記述できるとした。


電磁現象の相対性運動の記述が、ガリレオの相対性原理と同じ平行移動の処理でいいの?

眼球を回転させて、いろいろな方向からの光子を受け入れる。
首を回転させて。
腰を捻(ひね)って回転させる。

大地に固定された天文台の運動は回転を使ってる。
ハッブル望遠鏡は空間移動もできるけど、やはり回転も使ってる。

万有引力やクーロン力は存在の局所性が関わっている。

局所性は回転に相性がいい。




電磁現象を扱う物理学者は数学者の持つ能力、超越性を放棄しなければならない。
古典力学は宣言だけで存在を扱える数学空間に依存していればよかったけど、

電磁現象を記述するには、観察とか情報の扱い方で数学者の超越性が使えなくなっているのに対処する必要がある。
19世紀生まれの数学者や物理学者は、そこに気付かなかった。



戦略シミュレーションゲームで、初心者モードでは盤面がすべて見える。
中級者モードでは、駒によって索敵範囲が異なり、偵察機なら10ヘックス範囲、歩兵なら隣接ヘックス範囲が策敵でき、味方の索敵範囲は共有化され、すべて見える。
上級者モードでは司令部が設定され、味方駒のそれぞれが収集した情報を電送する遅延が導入される。

当然、司令部は盤面のどこかに配置され、リアルタイムの盤面上の事象が見えなくなる。
司令部に届いた情報から、盤面に過去の最新の事象が上書きされる。


いまどこに敵駒がいるかわからない。

電子群を放ち、敵爆撃機に反射した電波を収集しても、
反射から電波を収集するまでの遅延が生じる。

つい、レーダ画面に描かれたイメージを見て、そこに敵機がいると思い込んでしまうが、
レーダー画面に描かれたイメージの位置は、電波が反射した事象位置であって、
リアルタイムの敵爆撃機の存在位置でないことを失念してしまう。

空港管制レーダ画面は地上に対して動いていないけど、
戦闘機コックピット内レーダー画面では、地上に対して飛行中は動いている。


対地速度(ground speed) と対気速度(airspeed)


ボーイング787の座席背の液晶画面には、

対地速度: 旅客機と大地との相対速度
対気速度: 《旅客気を包む大気(空気)》と旅客機の相対速度


空気分子が旅客機先頭から後尾までの距離を通過する経過時間で割って、速度を求める。
実際はピトー管の圧力から。

旅客機の全長を使って空気の流れ、速度を求めるやり方は空気の平均速度値。
ピトー管は点みたいな局所存在だから、放物線の接線の傾き、微分概念。



平均速度を2地点の通過で測るには、経過時間がいる。
一方、ピトー管は、今現在の圧力状態を速度に換算するだけで瞬時である。

ピトー管は、ほとんど局所点的存在であるから、圧力状態の観察者は、
ピトー管が収集した情報を局所で1人で観測すればいい。

しかし、離れた2地点の時刻差を経過時間とする方法では、
旅客機全長をどう知ったのか、が、問題となる。

平均速度を測る観察時間中に、観察開始と終了の間に、
旅客機全長が変化していないを規定する手続きがいる。

旅客機が蛇腹(ジャバラ)構造してて伸び縮みしてるかもしれない。

旅客機先頭にいる局所存在観察者は、リアルタイムの旅客機全長を知らない。
旅客機後尾にいる局所存在観察者も、リアルタイムの旅客機全長を知らない。

この世にいる誰でも局所存在観察者でしかないのだから、
誰もリアルタイムの旅客機全長を知らない。

数学者の超越性が懐かしい。
数学者はイメージ、対象の大きさ、範囲を知ることに於いて、なんと全能であったか。
古典物理学者は、リアルタイムの存在状態、大きさとか速度に対して粗雑であったか。

遠くから観察して、視野角から全長を知ろうとしても駄目だぜ。




三角測量の説明図を思い浮かべる。

地上を表す水平線があって、観測者と大木が描かれている。
数学者の世界では、観測者と大木の根元までの距離を超越的に知ることができた。

瞬間的に観測者足元と大木根元を結ぶ線分長さ存在を同時刻として扱って、
大地が伸び縮みしてる場合の可能性を排除できた。

もちろん光学測量器を使えば、時々刻々の2点間距離の平均値は求まる。

光子の飛行時間で求める方法は、空気分子が旅客機先頭から後尾に走り抜ける経過時間を2箇所で求める方法とあまり変わらない。

反射を使っても、瞬間計測じゃない。


ま、このことについては、あとで詳細をやるとして、
三角測量の底辺長さは超越的に知っているとする。

θ角を知れば、大木の高さがわかる。だが、見えるということはどういうことだろう。
光情報は瞬間では伝わらない。大木の天辺(てっぺん)と瞳を結ぶ斜線距離。

ここを光子が旅する時間の間に、リアルタイムの大木は成長していた。消失していた。
オリオン座のベテルギウスを夜空に見ると同じ。知り得た情報は過去のもの。


地球儀を射影幾何学して、いろいろな平面地図が作られる。
点光源や平行光線で、実際に投影した場合の遅延って考えたことある?

平面スクリーンに投影した影絵だと電磁現象だから、
光速の伝達遅延分を平面スクリーンに補正しなきゃ、同時性はわからないぜ。

点光源から平面スクリーンへの投影だと、遅延が均一じゃない。

点光源と平面スクリーンの間にある影絵を作り出す物体は3次元存在。薄い紙でも。





時間軸と空間軸を同等扱いして直交させたのが、特殊相対性理論。
時間軸と空間軸を同等扱いで直交させていいのは、古典力学まで。

その皺寄せを、斜交させて、倒錯した。



電磁現象を扱う空間が、古典力学をちょい改造した程度の空間で間に合ってなかったらどうなる?

平面地図は種類によって、

面積をちゃんと表してなかったり、
方位をちゃんと表してなかったり、
2点間の距離をちゃんと表してなかったりする。



あとでちゃんとやるが、ローレンツ変換のローレンツは、なにを勘違いしたのか。
勘違いしたけど、ローレンツ変換は役立ってるのはなぜか。




再度、ボーイング787の御話。

対地速度: 旅客機大地との相対速度
対気速度: 《旅客気を包む大気(空気)》旅客機の相対速度
風速   : 大地《旅客機を包む大気(空気)》との相対速度


3すくみの相対性概念。  


新幹線下り列車線路の相対速度
新幹線上り列車新幹線下り列車の相対速度
線路新幹線上り列車の相対速度







これは、「位相速度」と「群速度」を理解するためのアニメーションである。
http://irobutsu.a.la9.jp/movingtext/Vgvp/





波を2つ重ねると「うなり」ができるよね。

物理学におけるうなり(英語:beat)


上り列車と下り列車がすれ違う。相対速度は2者間だから、どちらにとっても同じ。
上り列車も下り列車も全長同じとする。


上り列車が時速200キロメートル
下り列車が時速300キロメートルですれ違った。

列車内の座席に座ってすれ違いを車窓から進行方向に対して真横になる正面だけを観察すると、
相手側列車の先頭から後尾までの側面だけを見る。


相手側連結列車の先頭から後尾までの長さを観察時間で割ると、速度がでる。

列車内で座ってるんで、相対速度なんて発想はないわ。相手が動いてるだけ。
知識じゃ、古典物理学なら、相対速度時速500キロメートル。



列車内の座席で目を瞑(つぶ)って幽体離脱して俯瞰してみよう。

両列車の先頭同士がキスをして、後尾同士が離れるまでの時間を計算する。

まず、片方の列車先頭に自分が舞い降りた気分で、相手列車の通過を味わう。
ここまでは列車内で窓から観察したのと同じだ。

相手列車の最後尾端が真横に来たら、そっちに乗換えだ。飛び移り。
そこから後尾同士が離れるまでの時間を加算する。

座席に座って真横だけを見ているときのすれ違いの2倍時間が掛かった。



今度は頭の中で、点をイメージして、そこに両列車の先頭がすれ違い開始して、
その点の場所で後尾同士が離れるまでの時間を演算する。

上り列車と下り列車が同じ速度ですれ違ったように見える位置からの俯瞰と同じだから、
片方の列車先頭に舞い降りだ気分になると時速250キロメートルな気分。

ただし、どちらもの列車も点に吸い込まれるようなイメージになるので、
どちらの列車も同時に先頭が点に吸い込まれ、最後尾が同時に点に吸い込まれる感じだから、

相対速度半分になったような気分だけど、
相手列車を見続ける時間も半分になったような気分で、相殺して、
イメージで列車乗り換えをした場合と同じだけの経過時間だったになる。



さて、今度は線路に注目してイメージしてみよう。

両列車のすれ違い重なり部分が、先頭同士のすれ違い始まったばかりは長さ0。
最大時は、連結列車全長がすれ違い重なりあった長さ。そして最後尾同士が離れる。

この重なりあって部分に注目すると、

下り300キロメートル-上り200キロメートルで、

時速100キロメートルですれ違い重なり部分の中間が移動していることになる。



線路は無限性の概念代理。全長を特に言及してないからね。

イメージの世界の中で、両列車を同じ速度扱いした場合の、
すれ違い開始地点でありすれ違い終了地点は、数直線の原点Oのような扱い。

座席に座っての窓からの真横観察のすれ違いは、
観察者側の局所存在と、被観察者側の全長を使った有限性線分概念とのすれ違い。

列車の先頭と先頭がすれ違い開始して、後尾と後尾が離れる場合も有限性線分概念。
すれ違いの重なり具合。ただし、列車全長と列車全長の、有限性線分概念のすれ違い。


点と線分と無限が、観察時間に関係している。

観察している側も、座席のような点である場合と、
実は自分側にも列車全長という身体幅があって観察されている場合もある。



電磁現象の相対性概念が問われたのは、電磁誘導の実験から。

棒磁石とニクロム線コイル。

電場と磁場。


どちらか一方に肩入れしないでする、ものの見方もあるんじゃないの。



電磁誘導の実験は、理科室でやった。

飴玉を2つ同時に口の中に入れよう。
しょうが飴とハチミツ飴。

口腔内で、舌で弄(もてあそ)ぶ。




ゼノンの競技場パラドックス


馬車と馬車。そして観客席。

しょうが飴とハチミツ飴。そして舌。

舌は観客席と違って口腔内で動かせる。
上り列車と下り列車の見かけの速度を同じにしたようなポジション取り。

でも、舌は口腔内でどこにあるかは、わかる。
数直線の原点Oのような、無限性の中間地点じゃない。

口腔内の中央から舌がいまどれだけ離れているか、わかる。





音は縦波と呼ばれる疎密波。空気分子の密度が変化して、鼓膜が押されたり引かれたり。
光は横波という、進行方向に垂直に電場だ磁場だ。でも、これは抽象的な記述だよね。


光子1個が網膜に直進して来ても、ぶつかるまではなんの反応もないよね。
知覚できない。





光子1個が、正面で上下しても左右しても、斜めに動いても知覚できない。

観察主体に情報が来ないのに、あたかも存在の動きを超越的に知っている古典力学と同じ方法で電磁現象の相対性をいままでxy座標に描いていたんだから、

パラドックスたっぷりになるのは当然。



ゼノンの師匠らしいパルメニデスの運動の否定 を使えば、
もちろん哲学者のようなことはしない。


飛んでいる矢は、なんで止まって見えるのかをアレンジするだけ。



線路上を走っている列車側面の先頭と最後尾を同時にイメージして思考実験してるよね。


でも実際に列車側面の先頭と最後尾を同時に観察しようとすると、
列車全長が無限だったら無理だし、1000光年の長さだったら、俺の寿命を軽く超えてるから、
いくら線路に近付いて視野角を拡げても、実験で観察できない。

見るということは、リアルタイムで対象存在を、
見た時刻での対象存在を保証しないけど、

実験を用意するには、見るってことは大事。
見えるってことを扱わないで、電磁現象の相対性がわかるわけない。



洗面所の鏡で、自分の姿を見る。
洗面所の鏡は平面。

自分の眼の代わりに、iPhone のカメラを使おう。

鏡と iPhone を正対させる。

有限平面と有限平面が平行。3次元空間の中で。



鏡を線路に見立てて、こちら側を下り列車。鏡の向こうを上り列車。


iPhone のカメラアイを光円錐の原点Oに見立てれば、
鏡面を、1秒前の平面にもできる。


iPhoneを鏡面と見做せば、線路に見立てることもできる。
上り列車と下り列車を表と裏のカメラアイで観察。



さあ、これらを使って単純トリックがいかにくだらないものなのか、
顕(あらわ)にしていこう。








レーダー画面のイメージは、電子が航空機に反射した位置。

リアルタイムの航空機位置は、不明。


ハイゼンベルクの不確定性原理のような世界。
それは机上の空論で、小澤の不等式なんてのもあるが、


空間そのものが、従来の数学者が扱ったものと異なったものになる。
俺は最先端の数学を知らないので、すでに数学者はやってるかもしれないが、

ユークリッド幾何学だ、非ユークリッド幾何学だよりもっと根本である集合概念の扱いで、情報操作や認識が関わってくる空間になる。

もちろん、生物学者や哲学者や宗教家からすれば、まだまだ物理的粗雑さの世界観なんだろうが、


超上級者モードでは、盤面そのものが、相対性概念で描き直される。
プレイヤーによって。

情報将校や、戦争屋(ワーテルローの勝敗を電信使って情報得て市場操作)や、経営者・政治家(集団を言葉や己の存在でまとめる)が扱う空間と、電磁現象の世界は同じらしい。

ここで俺が紹介するのは、従来の科学的手続きが通用する情報将校レベルのもの。
単数形主語概念を使った、相対性概念。







シュレディンガーの猫では、箱の蓋を開けるまで猫の生死はわからない。
戦場では、塹壕戦イメージ。


60光年の長さの線分塹壕線。

その中央に君はいる。
情報部の報告に拠れば、

敵国に1つしかない超兵器が塹壕線の両端のどちからに配備された。



敵首都から宇宙船によって運ばれたのは確認したが、
2機の宇宙船のどちらによって運ばれたのか不明。
超兵器を運んだのが、左右どちらの線分塹壕端に行ったのかわからない。

数百年前の話。


いま敵国は総攻撃開始日を決定した。

情報伝達は光速以下として、君には超兵器対抗兵器が1台だけ手元にある。

塹壕線のどこの部分も同時刻だ。

アインシュタインの仮説を信じて、移動してるものには別の時間の流れがあるでもいいが、

存在は、移動しようと、この空間のどこかにある。


移動しているものが、自分の腕時計を見る必要はない。
塹壕線、線路の枕木に埋め込まれた時計を読めば、自分の真下の。

全軍の同期行動は可能だ。



敵は戦端を開いた。君のいる線分塹壕線中央で。

君は、敵は、線分塹壕線すべての位置で戦端を開いたと想像する。

実際に見えているのは、君のいる線分塹壕中央の戦闘だけだ。

まだ左右塹壕両端からの報告は届いていない。


だが、どちからで、敵超兵器が使われているはずだと君は想像する。
一刻も早く、対抗兵器を運ばなければ。

敵超兵器はのろまなのに対し、対抗兵器はほとんど光速で移動できる。


シュレディンガーの猫では、箱の蓋を開ける前に生死は確定してるかどうかの論争があるけど、

ここでは蓋然性として、

敵は、開戦と同時に超兵器を使用始めること。
敵は、総攻撃時刻を全戦線において同期していること。



蓋然性とは、かなり確からしいこと。

ゲーム理論、ただし、ノイマンが始めたレベルや、その確率的枠組みを取り入れたレベルのもの。

兵士達の志気を高めるカリスマがでてきたり、
宗教的信心で科学法則が根底から変わるようなのは入っていない、

奇跡がない状態での、利得表を使っての蓋然性。




この理由(わけ)のわからん話は、

局所性とリアルタイムで知り得る範囲を大げさにしたものである。
現実的なものは、自分で見たものだけである。

想像的なものは、想像的なことなのかな。
自分は1人でなく、友軍の多くの戦士が同時刻で戦闘をしているだろうということ。

そして、蓋然性、利得の。それによって、塹壕線中央で戦端が開かれたので、
各地もそうであろうと、決めつけてること。

そして、塹壕戦中央から両端へ最速で駆けつけるには30年掛かると思い込んでいること。

光速以上に速く移動できないと、金網カゴをはずされたカナリアが、思い込んでいること。
金網カゴはまだあるのかもしれない。ずっとあるのかもしれない。

ともかく、言語的な、科学的経験知を受け入れていること。




ジャック・ラカンを知っていたら、そのヘンテコ解釈だと思ってくれればいい。

現実界・想像界・象徴界。


その想像界の現実的なもの。
想像界の想像的なこと。
想像界の象徴的なこと。


科学という経験知の受け入れという、去勢概念みたいなもの。


大事なのは、想像的世界では、距離に関係なく、運動に関係なく、
ましてや、座標の取り方に関係なく、同時刻を自分以外が味わってると思ってること。

あの世のことは知らないが、この世の空間の内側で、
光速移動していようと、大地に固定されていようと、同時に居ること。

そう思っていること。


一方、科学知見によれば、電磁現象は光速を超えない。

しかし、塹壕線60光年の両端を生身の眼でリアルタイムで見ることはできないのに、
視野角と奥行きで離れれば、オリオン座の3つ星が創る線分が同時に見えること。

実際の3つ星は3次元空間内にあるから、直線上の存在ではないかもだが、
イメージとしては直線。


正面の壁から離れれば、壁面に描かれた絵が見える。

星々の地球からの距離はそれぞれ異なっても、点群を結んで星座が描ける。



逆に、壁に張り付いて、塹壕線中央にいる気分になると、両端は時間的彼方。
確認はしていないけど、空間的彼方でもあるはずと、科学学習している。

科学が正しいかどうかは知らないが、蓋然性が高いと受け入れている。




さあ、ここまでわけわからんにお付き合いいただいたので、
イメージに対する同時性の思い込みのたが が、外れてきてると思うので、


思考実験では、正面に列車イメージが描かれている。

列車イメージは、列車側面。

エジプトピラミッドの絵では、身体は正面、顔は横向きだけど、
関係ない話だけど、



列車側面イメージを長方形で代表させる。

長方形の輪郭線を点集合と見做す。まあ、原子みたいなもん。


この原子みたいなもんすべてに時計を埋め込む。


同じように、線路の枕木も、線路に対しての点集合と見做そう。


どちらの時計も同じものの複製とする。


アインシュタインの仮説を受け入れれば、
線路の上を列車が移動すれば、列車を構成する時計群と、線路を構成する時計群は、
アナログ時計なら、回転速度が異なるようにイメージの世界では見えるはずだ。


だけどさぁー、どれもすべてこの世にある原子だぜ。



列車時計群と線路時計群を見ている俺には、列車イメージが動いている気分だけど、
目を瞑ったら、列車時計群と、線路時計群があるだけだぜ。

どっちも等速運動していたら、原子達が加速を感じていなかったら、

どの方向に動いていたって同じだぜ。



自分から離れる時計は互いに遅れるっていうけど、
それって、時計が表示した映像情報が届くまでの時間が、
2点間の距離が長くなってるからじゃないか。



30年待たないと、30年前の塹壕線両端の映像情報が入ってこない。
そこには撮影時刻も表示されている。



それなのに、思考実験では、列車イメージ左右両端を同時刻として扱い、
線路の無限性のどこでも同時刻として扱ってる。


30年後、塹壕線中央にいる君は、塹壕線両端の映像情報を得る。その時、
30年前の自分の写真を、数直線の中央に貼る。両端の映像情報と共に。



これと同じことをしている。アインシュタインの思考実験は。
古典力学では、超越的に存在情報を扱えた。

イメージ情報は、線分上に立つものにとっては、
左右からの情報と自分の立ち位置局所を同列に扱えない。




だが、線分から離れて2等辺三角形の頂点から線分を見れば、
線路枕木に埋め込んだ時計群が同時刻を示していない。バラバラ。


相対性の運動とか関係ないぜ。


上り列車と下り列車は同じようなものだが、どちらも参照していたのは、線路だ。
相対性を扱うにしろ、同等じゃない。

旅客機と旅客機を包む大気(空気)と大地は、互いに参照してる同等の3すくみ。




観察するものが、目を瞑って自分を中心に空間や時間を捉えているのと、
鏡や壁に数直線を描いて、原点Oを中心に同時刻空間として手続きなしで、
自分の局所性存在を無視して対象イメージだけに視野狭窄してるの区別してないぜ。

ちゃんと区別してからなら、系がちがっても、光子軌跡を同じ長さで記述できる。




言葉での説明はこれくらいにして、図示しよう。





内部空間がないの単純トリックを図示しよう。












以下、記述者用の捨て文






数学者は、2つの棒に挟まれた線分が作り出した2等辺三角形底辺に直交するz軸を導入する。

xz平面に、帆船と浜辺の観察者が存在する。

ここでは地球の丸さ、球表面であることは考えないよ。



座標ってのは無限性のもの。

一方、観察行為は太陽が放った光は8分20秒後に










空を飛んている大型旅客機を地上から見上げる。
客室乗務員が機内で旅客機進行方向に歩いているのをイメージする。

客室乗務員を光子に見立てて、旅客機進行方向、正方向と負方向に移動して機内サービスする客室乗務員複数をイメージする。

旅客機は透明でないので、実際には機内は見えない。頭の中でのイメージ。

旅客機中央から先頭と後尾に向かって機内サービスを開始した客室乗務員をイメージ。
同時に、先頭と後尾に着いたはずだ。

このとき、頭のなかで旅客機の長さをイメージして、
水面に滴を落とすと同心円に波紋が拡がるイメージを重ねる。

慣性飛行している旅客機内部に水を張れば、波紋は先頭と後尾に同時に着く。


それなのに、xy平面座標を使って思考実験すると、『同時性破綻』となる。

なぜだろう。


光速とか、光子が原因ではない。
トリックじゃなく、世間ではパラドックスとか矛盾と呼ばれるものだけど、

それは机上の空論、思考実験によって生じたもの。




30センチ定規を2つ繋げてイメージする。
それを平面的な壁に押し当てて、60光年の距離と見做す。

数学者が直線をイメージすると、それは無限性のもの。
その任意の点に何があるか、超越的に知ることができる。

無限性の直線でなくても、有限の線分であっても、
実際に観察する場合は、対象である線分を視野内に収めなければ
対象の全範囲が見えない。

正面の壁は、xy平面座標と違って、観察者の視野角と、
壁と観察者の距離、奥行き長さによって、見える範囲が限定される。



数学的抽象世界と違って、観察するということは全能ではないようだ。

さらに、電磁現象は光速という有限速度でしか情報が伝播しない。



頭の中でイメージするのと、カメラアイ、カメラレンズに入って来る光子群から物理世界の情報を得て現象を座標に記入する場合では違うようだ。

そもそも、同時刻の複数現象を、同時に入手できるのは、
プラネタリウム半球ドーム内壁面で反射した光情報とか、
プラネタリウム半球ドーム内壁面をLED発光素子で敷き詰め、発光した光子群を、

プラネタリウム床中心で見たときだけだ。

情報はリアルタイムではなく、遅延したものだが、事象群の発生時刻は揃ってる。



平面壁に押し付けた30センチ定規両端や中央を、
日常では、同時刻の左端や中央と右端の映像情報だと扱ってるけど、

物理学で電磁現象を扱うなら、事象が発生した複数現場から、
事象映像を入手した位置までの距離が異なる遅延になることを
補正しなければ、同時刻を記述できない。


逆さ富士 山中湖 河口湖

富士山に反射し、さらに湖面に反射した光子群がもたらした情報と、
富士山に反射しカメラレンズに入った光子群では事象そのものの発生時刻が異なる。

カメラレンズが入手した時刻が同じだけ。

オリオン座の光と、アンドロメダ星雲の光では、地球までの距離が違う。
これは地球からの奥行き距離の違いだが、


写真にxy座標を重ねると









客室乗務員が中央から先頭と後尾に向かって1つ1つ、窓のブラインドを下ろしていけば、
機内の光が漏れなくなる。
或いは窓のブラインドを上げてる。















オリオン座のベテルギウスを、今日の夜空に確認しても、640光年離れているので、
すでに超新星爆発をしているかもしれません。

夜空の光り輝く星イメージ受信と、光源の現時刻での存在状態はバラバラです。一体ではない。


日常的には、打者は、